京都ぼっち日記

京都で孤独の楽しみ方を考えるブログです。

『「生きづらさ」を超える哲学』

 

オンライン授業が暇すぎる。

そう考えていたとき,クレジットカードを3回使ったというだけで,

PayPay様から5000円をいただいた。

まさに天からお金が降ってきたかのようだった。

早速,退屈しのぎの本をブックオフに買いに行った。

とりあえず,110円の本を9冊買った。

この先,本の感想をだらだら書くブログが増えていくと思う。

 

まず,初めに手を取った本は岡田尊司さんの『「生きづらさ」を超える哲学』である。

この本は,少年院で精神科医として働いている時に出会った少年少女の実話と,

歴史上の哲学者たちの逸話を,「生きるための哲学」という視点で描いていくものである。

 

具体的な話が多く,抽象的に一般化することが難しい話ばかりであったが,

多くの人の波乱万丈の幼少期が後の生き方,考え方に大きく影響を与えるということが身に染みてわかった。

 

家を出て親から独り立ちするということが本当の意味で達成されるには,それなりの時間と大きな試練を伴うのである。親に支配されてきた人ほど,その過程は難作業になるが,それをやり遂げないままでは本当の自分は窒息してしまう。

僕自身,大学生になってもまだ実家で暮らしている。

経済的にも心理的にも自立できていない。

しかも,臆病な性格だからか,その保護から逃れることが怖くてならない。

バイト一つとっても自分にはできないのではないか,と逃げてしまうことも少なくない。

しかし,一方で早く自立したいという思いもある。

何をするにしても親の目を気にしてしまうし,そんな生活では自分が自分らしく生きられていないような気もする。

このような相反する二つの思いを抱えていたため,この部分には深い共感を覚えた。

 

次は,本のなかで紹介されていた女性の言葉である。

「…ここまで大きくなれて,生きてるってことは,誰かが守ってくれたってことやろって。そう思ったら不満ばっかり言ってる自分が,少し申し訳ないようなきがしてきたんです。…」

当たり前のことだが,とかく忘れがちのことであるように思う。

僕たちが,独りで寂しいと思い,生きる気力を失ったとき,思い出すべきことなのではないだろうか。

自分は今一人で寂しいから死にたいと思っているかもしれない。

だが,今死にたいと思っている自分は生きているのである。

なぜ,生きているのか幼い頃僕たちは何をするにも誰かの助けを必要とした。

大きくなってからも,完全に誰かの助けなしで生きていくことは,非常に困難である。

つまり,僕たちは一人ではないのだ。

一人でないからこそ生きているのだ。

もちろん,「死にたい」と思っているときそのような冷静な考えを持つことはきわめて困難だろう。

しかし,日ごろからそのような感覚を忘れずに過ごしていれば,孤独感というものは和らぐのではないだろうか。

 

自分のためだけに生きるというのは,ある時期だけであればよいかもしれないが,一生貫くのは,よほど強い自己への囚われがない限り,並の人間にはできないことである。

(中略)

弱い人間が生き続けていくためには,自分以外の何かにつながり,そこに意味を見出すことが必要なのである。

 僕はこれまで,自分のため「だけ」に生きるということが,一番きれいな生き方,つまり,すべての生き方の前提であると考えていた。

自分のため「だけ」に生きれる人だけが,他人のため「にも」生きることができるという風に。

だが一方で,自分のためだけに生きようとしていても,時折強い虚無感やどうしようもない寂しさ・孤独感を感じることがあった。

つまり,僕は自分のためだけに生きることができるほど強い人間ではなかった。

僕は弱い人間なんだ。

ということが,この言葉で,何の卑屈な感情もなく,すんなりと受け入れられているように思う。

弱い人間なのだから,他人のために生きていこうと思えた。

だが,他人のため「だけ」に生きるのは最もよくないことだと思う。

しかも,自分のため「だけ」に生きられない人間が他人のため「だけ」に生きるというのは地獄絵図である。

他人のために生きる中にも自分のために生きる部分をある程度は残しておかねばならない。

結局「バランス」ということになるのであろう。

この「バランス」が僕にとっては難しいのだが…

 

もっと紹介したい部分はあるのだが,これ以上書くと長すぎるので,この辺で終えたいと思う。

下にリンクをあげておいたので,興味のある方はとにかく読んでみていただけると嬉しい。

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『韓国は一個の哲学である 〈理〉と〈気〉の社会システム』

この本の著者は小倉紀蔵先生である。

ここで,「先生」と呼ぶのは実際に大学で講義を受けている「先生」だからである。

講義での先生のお話がとても分かりやすく,面白かったので先生の著書を手に取ってみた。

元々日韓問題さらには,日中韓問題について関心を抱いていた自分にとってはとても興味深く,「なるほど」と思う部分が多かった。

一方で,疑問に感じる部分やよくわからない部分も多くあった。

これは,自分が今まで韓国の方とほとんど接したことがないからであろう。

隣国の人であるのに,ほとんど接したことがないというのは非常に寂しいことだと思う。

本の学校では,ALTとして主に英語圏の方との交流の機会はあったが,

なぜか中国の方や韓国の方と接する機会はなかったように思う。

このような事情で,僕にとってこの本の記述はある意味で誰だかよくわからない人で,うわさは良く聞くような人の紹介を受けているような気もした。

うわさすなわち日本人や日本の報道,韓国のメディアなどを介してつたえられた韓国人の「イメージ」と比べるほかなかった。

今の自分が韓国や北朝鮮を知るためには,このような書物ではなく,実際に接してみる必要があると感じた。

接したうえでこのような本を読まなければ,イメージだけが先行してしまい,いざ接してみようとなったときの障壁になってしまうと思う。

日本で日韓問題,日中韓問題が論じられるときにも同じようなことが起きていると思う。

三国は地理的に近接しているために,ニュースなどで情報に触れることも多い。

また,文化的にも似ているために,そのようなニュースを聞いただけで,相手の国を理解しているような気持になっていることが多い。

その「理解」はあくまで相手国の考え方に酷似した自国の考え方に基づいた理解であり,本当の意味での理解ではない。

本当の意味での理解をしていないにも関わらず,分かったような気になって相手国を語る人も多い。

これでは,いつまでたっても溝は埋まらないし,埋めようとする人もいなくなっていくだろう。

だから,必要なのは,無駄な知識や情報,報道ではなく,直接的なふれあいだと思う。

本のレビューではなく,単なるまとまりのない自分の意見を書いてしまった。

本については,自分が韓国の方と接する経験をある程度積んでからもう一度読み,「答え合わせ」をしてみたいと思う。

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アロマ

今月から始めてみた趣味がある。

それは,「アロマ」だ。

始めたといっても,図書館で本を借りて,無印でエッセンシャルオイルを2つ買って,

エタノールを買って,ルームフレグランスを作ってみた,というだけの話だ。

だが,たったこれだけのことでも何かを始めるのにはエネルギーを使う。

何と言ってもお金の問題。趣味を始めるときが一番お金がかかる。

必要なものを買いそろえなきゃならないし,品々の相場も分かっていないので,

節約するのも難しい。

さらに,少しの気恥ずかしさ。まったく何も知らない状態で,店の品々を眺めるのは少し恥ずかしい。

何も知らないのに知ったような顔で店をぐるぐる回っている自分に笑えてくる。

だけど,そこで挫折してしまっては一生趣味を手に入れることはできないだろう。

そんな風に思い,バイトも定まっていない中ではあったが,勇気を出して始めてみた。

 

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なぜ,アロマなのか。

それはもともと「香り」というものに興味があったからだ。

というのも,人間の五感のうち嗅覚だけが機械の識別能力より人間の能力の方が優れているらしい。

機械である程度の識別は可能だとしても,微量な香り成分は感知することができないらしい。

しかも,天然の香り成分においては,そのような微量な香り成分こそが香りの鍵となることも多いらしい。

そういった香りの「神秘性」みたいなものに長らく興味を抱いていた。

 

かくして始まったアロマライフ。

今は,ルームフレグランスの香りが漂う部屋でブログを執筆している。

リラックスできていい香りだ。

飽き性の僕だが,この趣味が長続きすることを願っている。

 

『わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か』

先日,平田オリザさんの『わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か』を読んだ。

約1年前に購入した本だが,受験勉強などとも重なり,ずっと読めないでいた。

随分前のことなので,はっきりとは覚えていないが,この本を購入した時は漠然と人間関係に不安を感じていた。

なぜ周囲の人に自分の気持ちを伝えられないのか,なぜ友達と呼べる友達ができないのか,そんなことばかり考えていたと思う。

買ってすぐ読もうとしたが,どこか不安な気持ちが拭いきれなくて,冒頭の部分で読むのをやめてしまった。

 

少し時が流れ,そのときとは考え方も少し変わったように思う。

大学に入って,人間関係の悩みは減った。

そんななかでも,自分には「コミュニケーション能力」がないということは感じていた。

なぜ初対面の人に話しかけられないのか,なぜ知り合いと話すときもぎこちなくなってしまうのか,なぜ家族と話しているときでさえすれ違ってしまうのか,なぜ店員さんにもはっきりと受け答えすることができないのか

そんな風に考えることが多い。つまり,自分は「コミュ障」だと思っている。

その悩みを解決する手がかりになるかもしれない,と思って手に取った本が一年前に買ったこの本だ。

前置きが長くなったが,内容の紹介をしていく。

 

この本は,日本で近年唱えられている「コミュニケーション能力」や「コミュニケーション教育」について,筆者の体験談を交えながら,主張している。

 

早速冒頭の部分から,なるほどと思うような言葉があった。

いま,日本社会は,社会全体が,「異文化理解能力」と,日本型の「同調圧力」のダブルバインドにあっている。 

たしかに,企業採用や学校の授業など公の場で「コミュニケーション能力」と言われる場合には前者を指すことが多いように思う。

「他者の考え方を理解して受け入れる」ことはよいことだ,もっとその力をつけなさいと言われることは多い。

一方,ツイッターや私的な会話で「コミュニケーション能力」と言われるとき,後者のようなことをさすことが多いのではないだろうか。

たとえば,「アイツは空気が読めない」とか「ノリが悪い」,「だからコミュ障なんだよ」という風に。

だから,自分が「コミュニケーション能力が低い」と自覚した時,相手の意見を受け入れる能力か,周りに合わせて目立たないように行動する能力かどちらをつければよいのか迷いが生じて思い悩むのだろう。

 

長くなってしまいそうなので,自分の心に響いた言葉を引用するにとどめたいと思う。

興味を持ってくださったら,ぜひ読んでいただきたいと思う。

 

日本では,コミュニケーション能力を先天的で決定的な個人の資質,あるいは本人の努力など人格に関わる深刻なものと捉える傾向があり,それが問題を無用に複雑化していると私は感じている。 

実感を伴って心に残った箇所である。

「コミュ障」と思われたり,「コミュ障」と自虐したりするとき,自分の人格が貶められている気がしたり,貶めている気がしたりする。

だが,「コミュ力が低い」は「数学が苦手」とか「絵が下手」とか「音痴」とかそういうレベルの問題と同じなんだと気づかされた。

コミュ力が低い」からといって,必ずしも「性格が悪い」ということではない。

また,「コミュニケーション能力」をつける授業というのは,受けた記憶がない。

 「数学が苦手」よりも軽い悩みなのではないか。そんな気さえした。

 

さらに,コミュニケーション能力とは関係のない部分かもしれないが,次の箇所も印象に残っている。

本当の自分なんてない。私たちは,社会における様々な役割を演じ,その演じている役割の総体が自己を形成している。 

ここ数年僕は「本当の自分」って何だろうということを頻繁に考えてきた。

しかし,それは意味のない問だったのかもしれないと気づいた。

意味がないどころか,いろいろな社会的役割を演じ分けられないことの言い訳にしていただけかもしれないと思った。

どんな場面でも同じように「自分」というものを貫きとおすことはできないのかもれない。

ある友人の前での自分とある知り合いの前での自分,見知らぬ人の前での自分,一人でいるときの自分,家族の前での自分が違っていてもその場にいて考え,行動している人間は,全部自分なのだと思った。

「役割の総体」という表現も素晴らしいと思った。

いろいろな場面で行動している自分の平均というか総和をした者が自分であり,どれか特定の場面の自分だけを「本当の自分」にしてしまうのは,ほかの場面での自分に失礼だ。すべての場面の自分を平等に扱ってあげなければ。と思った。

 

予想以上に長くなり,内容についての紹介はほとんどできていないが,コミュニケーション能力という言葉の曖昧さが晴れるような本だった。ぜひ読んでみてほしい。

 

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初バイト

初バイトだった。

バイトで知り得た情報をSNSにあげてはならないとのこと。

だから、感じたことに焦点を当てて書く。

 

何回も申し込んでやっと採用された試験監督バイト。

なぜ試験監督バイトをやろうと思ったか。

それは、人間関係を構築することが求められる長期バイトは向いていないと思ったからだ。

はじめは、塾講師や家庭教師も考えていたが、面接に行って直感的に向いていないと思った。

そこで、短期単発のバイトを探していたときに出会ったのが試験監督バイトだった。

試験中ただ巡回しているだけでいいなら楽だろうという軽い気持ちだった。

 

しかし、そんな軽い気持ちでも、受験生とのコミュニケーションや他のバイトとのやり取りがある以上2日前ぐらいから非常に緊張していた。

当日、試験監督の役割表が渡された。1つの試験室を複数人で見る形だったので少し安心した。

試験準備をし、試験中に任された仕事をやりながら、少し休憩も取り1日を終えた。

仕事を終えてまず初めに感じたのは、給料を貰う以上楽な仕事はないということ。そして、給料を貰うからこそ達成感も得られるということ。

無賃で試験監督などやっても、何も感じないどころか、予想以上の仕事の多さに苛立ちを感じただろう。

だが、「給料」というお金が絡む行動だからこそ、達成感というか開放感というか嬉しさというかそういったプラスの感情を抱くことができたと思う。

世の中結局お金。

これは、お金の万能性を述べているのではなく、お金というものが僕達の感情の部分まで支配するということを主張していると思う。

お金というちっぽけなものによって、高揚感、敗北感、達成感、劣等感、罪悪感などなどさまざまな感情が巻き起こる。

そういった意味でどんな仕事(ここでは給料が出るという意味で)も僕達の心を動かすものであると思う。

 

ダラダラ書いたが、僕の初バイトの感想は、お金の力ってすごい!だ。

 

散歩

散歩は何も生まない。しかし,確実に何かを取り除いている。

 

僕は散歩をするのが好きだ。なぜ好きなのかというと,答えるのが難しい。

というのも,散歩によって生み出される物質的なものは,何もないからだ。もちろん,散歩した先でカメラを使い,写真を撮れば,写真というものが生み出される。散歩して訪れたカフェでコーヒーを飲めば,コーヒーが手に入る。しかし,これらは散歩自体が生み出しているものでは決してない。生み出す主体は,前者の場合カメラであるし,後者の場合お金である。どれだけ散歩をしても,お金は手に入らない(そのようなアプリやイベントがあれば話は別だが)し,道行く人からご褒美がもらえるわけでもない。

ではなぜこのような非生産的な行為に惹かれるのだろうか。それは,何も生まない代わりに,何かを取り除いているからなのではないだろうか。日常生きていれば,不満やストレス,心理的負担が蓄積する。人と関われば,思い通りに行くことのほうが珍しいし,自分が自分を思い通りに働かすことも難しい。

 

だが,散歩中は別である。独り黙々と歩いていればよいのだから対人ストレスはゼロである。歩くという最も基本的な動作を繰り返すのだから,自分の思い通りにならないということはない。歩いていくうちに,日常生活でたまっていた「世界が思い通りにならないことによるストレス」が溶けていき,心にゆとりを持たせる。自分がやりたいように,人に干渉されず,どこへ行ってもよい時間である。

 

この意味で,散歩は始めのほうが楽しく,終わりにかけて憂鬱になっていく。散歩が尻上がりに楽しくなっていくなんてことはない。それは,終わりに向かうにつれて,何時までに帰らなけらばとか,そもそも「家」に帰らなければとかいうような束縛が増えていくからである。これこそ,自分ではどうにもならないものであり,「世界が思うようにならないストレス」というものが徐々にたまっていくのである。一方,始めのほうは全くそうではない。スタートした瞬間の僕には,多くの選択肢が用意されている。(本当の始めの始めは何度も歩いたことのある道だから,パターン化され,選択肢が少なく見えてしまうこともある。)これらの選択肢の中から自分の思い通りに道を選び,考えた通りに進んでいくことができる。これこそが散歩の楽しさであろう。

 

日々の生活で思い通りにならない不満やストレスを散歩で解消する。これこそ,至上の休日の過ごし方である。

『孤独について 生きるのが困難な人々へ』

大学に入学し,大学図書館が使えるようになった。学術的な本,新書や文庫,古典など様々な本が手に入る。これまで公立図書館では手に入らなかったようなマニアックな本や絶版になった本が手に入る。僕にとっては,最高の資源である。

 

僕がこのところ長い間考えている,このブログのテーマの一つでもある,「孤独」というものについて書かれた本を探していた時に出会ったのが,今回読んだ『孤独について 生きるのが困難な人々へ』である。大学図書館の蔵書検索にかけてみると,見つかったので借りてみた。

 

この本の構成は,序章で著者の現在の考え方や想定する読者層を提示し,第一章から第四章で,著者の人生を描き,第五章で孤独に対する考え方が述べられ終章で締めくくられる。

 

序章で印象的だったのは,孤独を与えられた苦痛ではなく,選び取ったものであると考えるべきであるということである。

 

―――あなたの孤独は,あなた自身が選びとったものだということを認めなさい。そして,その(表面的な)不幸を利用し尽くしなさい。それは,とても「よい」状況になりうることを信じなさい。―――

これは,二重の意味にとれるのではないだろうか。一つは,今の状況は良いことも悪いことも含めて,過去の自分が一瞬一瞬に選びとってきた判断によるものだということ。もう一つは,孤独を与えられたものであるととらえるから,「苦痛」に耐えられないのであって,選び取ったものであれば,少々の苦痛にも耐えられるのだということ。著者は後者を主に想定しているものであると考えられる。その証拠に以下のような記述がある。

―――ここに重要なことは,いかなる状況もそれ自体として善でも悪でもないということ。いかなる状況も,当人の考え方によって善にも悪にもなりうるということである。―――

 

認知行動療法など心理学の場面でも,よく言われることであるが,それは孤独という状況にも当てはめることができるのだということを改めて学ぶことができた。

 

第一章から第四章は,著者の少年時代から,青年時代,大学の助手として働いた時代までを述べた部分である。この部分は徐々に興味が薄れ,面白さの代わりに胸糞の悪さを感じるようになった。というのも,実際はどうか分からないし,外野の人間が評価する立場にはないことも分かっているが,少し脚色されているような,大げさなようなそんな気がしたからである。特に,大学の助手時代に教授からいじめを受けたことを回想する場面では,少し愚痴や悪口を聞いているようで気分が悪いような気がした。これは,その部分と後の孤独に対する考え方とのつながりが薄いようにも感じたからであろう。ただ単に憂さ晴らしで書いているようなそんな気がしたのである。あくまでも,僕がなんとなく感じただけであるから,実際に読んでみて確かめてほしい。

 

一方で,第五章は素晴らしいものだった。著者は孤独や孤独を好む人の本質をよくとらえていると感じ,とても勉強になった。著者は,孤独を楽しみそれを活用するための絶対必要条件として,以下の二つを挙げている。一つは,「あなたが他人とうまくやっていけないこと」,もう一つは「あなたが真に不幸であること」である。後者については,「『自分が嫌い』であるという不幸であること」と言い換えられている。さらに,この後の記述で僕が一番心に残っている箇所がある。その箇所を引用する。

 

―――第一の条件は「人間嫌い」と言えよう。だが,人間嫌いな人はじつは自分が嫌いな人なのである。他人との関係にある自分が嫌いなのだ。―――

 

先に挙げた二つの条件は実はつながっており,一体であると述べる箇所である。これは,人間嫌いの僕にとっては,びっくりするほど当たっているのである。自分が人と一緒にいることを息苦しく感じる理由がわかったようなそんな気がした。たしかに,僕は他人の一人一人が真に嫌いなわけではなく,漠然と誰かと一緒にいると,また誰かと一緒にいて別れると,苦しくなるのである。著者も述べているように,「反省すべきことが山のように襲って」くるのである。他人が嫌いなのではなく,根本的に,自分が嫌いなのだということに気づけたこと。これは大きな収穫となった。

 

さらに,著者は自分のことにしか興味はないとも述べる。他人に興味を抱かないし,自分に興味を寄せてくる人間にも興味はわかないという。これは,僕が近ごろ悩んでいたことと近いものがある。他人と話していても,質問が出てこない。気づくと,自分の話になってしまう。この状況に直面して,僕は他人への興味が薄いんだ,自分にしか興味はないんだ,と自覚した。この本の第一章から第四章がつまらなく感じたのもそのせいかもしれない。しかし,この悩みは誰にも打ち明けることができない。なぜなら,誰かに向かって他人に興味がないと打ち明ければ,その他人の中に含まれる打ち明けられた相手は少なからず傷つくし,理不尽に思うであろうからである。しかし,著者は,「書くこと」によってそれを声高に言ってみせるのである。かっこいい。僕もこの境地に達することができるだろうか。

 

今回は中島義道氏の『孤独について 生きるのが困難な人々へ』を読んだ感想を書いた。全体的に見ればとても勉強になる本であったし,今後も僕の心の支えになる本だろう。ぜひ読んでみてほしい。

 

生きるのが困難な人々へ 孤独について (文春文庫)